煙の玩具47

 ほろ苦い話をします。
 まずは、このパイプを見てください。これは、れっきとした Poul Hansen のパイプです。まあ、本人が作ったものではないでしょうが。

 ひどいでしょう? これ。やる気が全然感じられないでしょう?

 まあ、その頃の僕は Hansen のパイプだったらなんでも買う、みたいなところがあり、こんなものを持っていたって不思議ではないのですが、これが僕のところに来たことについて、ほろ苦い思い出があるんです。

 僕は自分でも不思議と思う力があって、緊急でパイプを買わなければならないときに、何とかお金を捻出することができるんです。だから、あきらめたパイプはあんまりないです。でも、あの日だけは、本当に赤貧だった。

 2010年が始まったばかりのことです。パイプの友人から連絡をもらいました。京垓さんに Hansen のパイプが入ったとのこと。僕はすぐさま京垓さんに電話をかけ、お品代を尋ねました。

 社長は仰いました。「これねぇ、ほんとにオールドの Hansen だから、ちょっと高くなってしまうんですよねぇ」。そして、社長は値段を教えてくださいました。いつもならいざ知らず、そのときの僕には絶対に購入できない金額でした。

 僕は、泣いたような記憶があります。

 そして、そのパイプは売れてしまいました。

 そうこうしているうちに、パイプ喫みの祭典“立川パイプフェスタ”の日が近づいてきました。まあ、僕はあまり、こういう場には足を運びません。僕はパイプを「孤独の道具」だと思っていて、大勢で喫うことに意味を見出せないのです。

 そんな場所に僕が赴く気になったのは「京垓さんが、2本、Hansen を持っていくらしい」という、友人の情報によってでした。そのとき、僕はもう赤貧を脱却し、そこそこのパイプなら買えるお金が準備できました。

 南武線にゆられ、立川の会場に着くと、僕は一直線に京垓さんのブースに突撃しました。そして、そこには2本のパイプがあり……。

 ……そのうちの1本は、売れてしまったはずの、あのパイプでした。

 僕は社長に詰めよりました。胸倉をつかむことも考えていました。

「このパイプは売れてしまったと聞きましたが?」

 僕の問いに、社長は笑いながら「いやぁ、帰ってきちゃったんですよ、このパイプ」。

 そして、そのパイプのお値段は、僕が持参したお金よりも高かったのです。

 もう、僕は平常心を保てなくなっていました。「……血よ、燃えろ」と僕は呟きました。「怒りとともに敵を滅ぼす!」。

 乱心した僕に気づいた社長は「わかりました。このパイプはリザーブしておきます。あと、もう1本は値引きさせていただきます」。

 その1本がこのパイプだったのです。

 そして、そのパイプは、まだ、僕の家にあるのです。